始まりました。社会インフラの横丁から。この番組は、社会の当たり前を支えてくれている人たちの声を、人情味あふれる六興村の隅っこにあるこの横丁からお届けするラジオです。本日も温かいお話や苦労したお話、心に染み渡るお話、そしてこれからの未来につながるお話をお届けしてまいります。第20回目のゲストは、愛知県海部郡飛島村にある有限会社コトブキ運輸の永田和仁社長をお迎えしました。SNSではDPF洗浄やチャオヤンタイヤの販売など、独自の取り組みで業界に旋風を巻き起こしている永田社長。その明るいキャラクターの裏側には、なんと「元・吉本興業の芸人志望」という驚きの過去がありました。今回は、永田社長がなぜお笑いの道を志し、そこからどのようにして運送業界へと転身したのか。その波乱万丈な半生と、意外なドライバーデビューのきっかけについて、たっぷりと語っていただきました。%3Ciframe%20data-testid%3D%22embed-iframe%22%20style%3D%22border-radius%3A12px%22%20src%3D%22https%3A%2F%2Fopen.spotify.com%2Fembed%2Fepisode%2F2LXmlGJwat7mI9xeVSIvYU%3Futm_source%3Dgenerator%22%20width%3D%22100%25%22%20height%3D%22352%22%20frameBorder%3D%220%22%20allowfullscreen%3D%22%22%20allow%3D%22autoplay%3B%20clipboard-write%3B%20encrypted-media%3B%20fullscreen%3B%20picture-in-picture%22%20loading%3D%22lazy%22%3E%3C%2Fiframe%3E運賃値下げの敵!?衝撃の出会い段林:本日のゲストは、愛知県の有限会社コトブキ運輸、永田社長にお越しいただいております。よろしくお願いします。永田社長:よろしくお願いします。愛知県飛島村で有限会社コトブキ運輸という運送会社で代表をさせていただいております、永田です。よろしくお願いします。段林:永田社長との出会いは何でしたっけ?多分、うちのインターンというか、まさかの大学生の彼が営業に行っている中で、確か永田社長と接点があって……みたいな感じでしたよね。その前って何でしたっけ?永田社長:その前は、六興実業さんのSNSに出てくるコマーシャル、広告に僕が問い合わせをしたというところですね。段林:あれですね。うちが本当に、Webの施策を一切やっていない中で、唯一期間限定でちょっとだけやっていた、荷主さん向けの広告ですね。永田社長:そうです。「運賃って高くないですか?運送会社をちゃんと選びましょう」みたいな文言だったんですよ。それを僕が見た時に、「これは運送会社の敵だ!」と(笑)。「運賃を下げようとしているやつがおる。これはちょっと情報収集しないといけないな」と思って、フォームに会社名とかを書くんですけど、その時点で「有限会社コトブキ運輸」って書いちゃってるんで、もうバレバレなんですけど(笑)。ただ、僕はどうしても気になったので、フォームから問い合わせたというのが最初ですね。段林:なるほど(笑)。当時、僕らもいろんなサービスの中で、荷主さんと運送会社さんをつなげていくために、荷主さんを集める目的でそういった広告を出していたんですが、確かにちょっとあんまりね……。永田社長:そうですね、そこに僕が見事に引っかかりまして。「運送会社は敵だ!」と思って問い合わせたのに、実際は全然違ったという。段林:本当にあれは荷主さん向けでしたからね(笑)。関係ないのに、永田社長がえらい食いついてきたなと思いましたよ。その後、当時のインターンの子が連絡をくれて、Zoomや電話で話をする中で、「こっちの味方じゃん」ということが初めて分かったんですよね。永田社長:そうなんです。誤解が解けてよかったです。そこからいろいろ連絡させていただいたり、段林社長とお話したり、今年の年明けに段林社長が東京にお越しの際にご飯を食べさせていただいたりしましたね。段林:ついこないだ、1、2ヶ月前ですね。このポッドキャストの川北さんの回(#017-019)があったと思うんですが、川北さんのところ、三重に行く前にここに寄っていただいて、そこから川北さんのところに行きましたね。永田社長:そうですね、川北の叔父貴のところに行く前に(笑)。段林:そんな感じでご縁をいただいています。コトブキ運輸さんはSNSなどを見ていただくと分かる通り、DPF洗浄やチャオヤンタイヤなど、業界の中でも運送という仕事だけでなく、コスト削減や「車を大切に長く乗っていく」という部分で力を入れて発信されていますよね。あと、後ほど触れますが、永田社長のご経歴が特殊なものですから、SNSの雰囲気もかなりパンチが効いているというか(笑)。永田社長:そうですね。扱っている商品は真面目なんですけど、ふざけてますね(笑)。段林:かなりふざけた動画などを目にされた方も多いかもしれません(笑)。そういうところもいろいろ取り組まれているので、僕もすごく勉強になることが多いです。めっちゃ楽しいなと思ってます。今日もぜひPodcastに出てくださいというところでも二つ返事でオッケーをいただきました。永田社長:もちろん段林社長の依頼だったら、もう何でもやらせてもらってます。段林:ありがとうございます。今日は本当に過去から深掘りしていくというところで、今日これをやるにあたって打ち合わせさせていただいた時にも、「あ、こんなんだったんだ」みたいなエピソードもいっぱいあったので、ちょっとそのあたりをお伺いさせていただければと思いますので、よろしくお願いいたします。永田社長:放送できることがあるかもしれませんが(笑)。八百屋の息子として育った「名古屋の駅裏」時代段林:このポッドキャストは、だいたい前半は過去を遡りながら今に至るまで、直近はどういう取り組みをしているか、そしてまあ未来の話を伺うというような構成で、全4回から6回ぐらいを考えています。今回は最初なので過去編として、この運送業に入るまでというところが面白くお伺いしたい部分があるので、まずお話をお伺いできればなと思います。永田社長:はい。僕は愛知県名古屋市で生まれました。今収録しているところのすぐ近くです。段林:ではかなり都会派というか、シティーボーイですね。永田社長:そうですね(笑)。今名古屋駅の近くにいるのですが、こちらは名古屋の駅前、いわゆる「駅前」ですね。僕はその反対、西側の「駅裏」と呼ばれるところで育ちました。どうやら戦国時代には闇市なんかがあった場所みたいです。親が駅裏で八百屋をやっていて、僕も名古屋駅近くの幼稚園に通っていましたし、この辺りで遊んで育ちました。段林:駅の西側ということは、新幹線口の方ですね。永田社長:そうですね。今はビックカメラなんかもありますけど当時はまだなくて。元々商店街だったんです。段林:立ち飲み屋さんがあるあたりの方はなんとなく名残がありますよね。永田社長:そうですね。名残が残っていますね。立ち飲み屋さんがあったところに元々魚屋さんだったり蒲鉾屋さんだったりしたんですよ。そういった商店街の中で育ちました。段林:そうだったんですね。★コラム② 戦後の喧騒とエネルギー:名古屋駅西「駅裏」の歴史永田社長が幼少期を過ごしたと語る「名古屋駅の西側」は、地元では通称「駅裏(えきうら)」と呼ばれてきました。現在でこそリニア中央新幹線の開業に向けた再開発が進んでいますが、かつては独特のディープな雰囲気を残すエリアでした。戦後の闇市(やみいち)に端を発する商店街や、迷路のような路地、立ち飲み屋が軒を連ねるこの場所は、洗練された「駅前(東口)」とは対照的に、人間の逞しさや欲望が入り混じるエネルギッシュな街でした。永田社長の実家である八百屋があった場所も、そうした商売人の熱気が渦巻く環境でした。「安く買って高く売るのが商売」という感覚を、学校の勉強ではなく、街の喧騒と大人たちのやり取りの中で肌感覚として叩き込まれたというエピソードは、この「駅裏」という特殊な磁場があったからこそ生まれたものかもしれません。永田社長:小学校にあがると親が七宝町というところに家を建てたのでそこに住んでいました。お正月や夏休みになると、みかんの箱を担いで配達を手伝ったり、お客さんと話をしたりしていましたね。だから、商売に対して全く抵抗がない環境で育ちました。それが今のタイヤの販売なんかに繋がっているのかななんて思っています。段林:なるほど。夏休みになったらみかんを担いで外に出ていたんですね。永田社長:そうですね。袋詰めして箱に入れて……遊びながらも、商売をやっている父の姿を見ていて、「商売っていうのは、安く買って高く売るもんだ」とか、「その差が利益なんだよ」ということを、わけもわからず仕込まれていましたね。段林:そうなんですね。そんな永田少年は今に通じるように当時から明るい性格だったんですか?永田社長:そうですね。ガキ大将というか、明るかったです。ですが、僕は3人兄弟の三男で、上に兄が2人いるんですよ。だからわがままでしたし、暴れん坊でした(笑)。そんな感じでしたけど、みんなと仲良く楽しくやっていましたね。吉本興業への挑戦と、東京での日々段林:そこから話が飛ぶのですが、元々吉本興業のご出身とお聞きしました。永田社長:そうですね。高校を卒業してから東京へ行きました。当時は頭も良くなかったですし、インターネットなんてない時代ですから、本屋さんに行って雑誌で見つけたんです。吉本興業に家から電話して、「芸人になりたいんですけど、どうしたらいいですか?」って聞いたんですよ。そしたらその雑誌に書いてある応募方法で応募をするように言われました。言われた通りに応募して、書類審査が通ったんです。そして歌舞伎町だったかな?オーディションを受けに行ったら合格しました。段林:すごいですね!?永田社長:周りは就職とか進学が決まっている中で、僕だけプラーっとしていたんです。本当にギリギリになって吉本興業が決まって、「じゃあもう東京行ってくるわ」って、カバン1個とガソリンスタンドでアルバイトして貯めた給料を握りしめて東京へ行きました。段林:そこから一人暮らしをしていたんですか?永田社長:高校の同級生が帝京大学のボクシング部にスポーツ推薦で行っていたので、その寮に少し居候させてもらって。その間にアルバイトを掛け持ちして、お金を貯めて部屋を借りて、という感じでしたね。段林:今から20年前くらいになりますかね?永田社長:僕が今47歳なので、もう28年くらい前ですね。段林:東京の歌舞伎町ということは今でいう東京NSCですよね。永田社長:そうですね。その頃のNSCは赤坂にありました。あとは大阪、名古屋にもありましたね。札幌にもあったような気がします。関西だと子供の時から新喜劇をやっていたりしますが、僕は「コテコテなのは嫌だな」と思って。当時はダウンタウンさんやロンドンブーツさんが全盛期で。僕も当時もっとシュッと痩せてたので、金髪にして、完全にロンドンブーツさんを意識していましたね。それで銀座7丁目劇場とかに出させてもらったりしました。段林:そうだったんですね。永田社長:NSCの時は出られなかったんですけど、吉本所属の芸人になってからはそういう風に活動していました。段林:どのくらい活動していたんですか?永田社長:NSCを出てプロにはなったんですけど、その後1年くらいでやめちゃいました。コンビを解散しちゃったんです。華麗なる同期たちと、夢のあと段林:すごくミーハーな質問になるんですけど、同期って誰になるんですか?永田社長:同期は「ガリットチュウ」ですね。段林:おおー、ガリットチュウ!永田社長:ガリットチュウの、熊谷君ですね。相方の福島くんは当時ピンでやっていたんですよ。熊谷くんは、僕の相方の元相方だったんですよ。それで仲良くしたりとか。あとは関くん。「信じるか信じないかは……」の彼も「ハローバイバイ」というコンビでやっていましたし。段林:すごいですね。永田社長:あとは今あまり出てこないですけど、マツコ・デラックスさんのモノマネをしていた人も当時は「サブミッションズ」というコンビでやっていたんですよ。他には「くまだまさし」とか。そのあたりが同期ですね。よくネタ合わせとか、公園でみんなでやっていました。段林:へえー!すごいですね。そして1年ぐらいで解散して、その後はどうされたんですか?永田社長:「どうしよう」となったのですが、東京でバイトしてナンパして(笑)。そういう風にプラプラと遊んでいました。でも「こんなことやっててもしょうがない」と思って、一度愛知へ帰ることにしたんです。よかったらまた東京へ出ようかな、ということで愛知に戻りました。「稼げるんじゃないか?」トラックドライバーへの転身段林:愛知に戻って、最初からドライバーさんとして運送業に関わる仕事に就いたのですか?永田社長:遠からず近からずですが、実は車の免許を持っていなかったんですよ。だから、車の免許を取るお金を貯めるために、自転車で物流倉庫へ働きに行っていました。段林:なるほど。永田社長:そこで一生懸命働いてお金を貯めて、やっと免許を取って車に乗れるようになった、という感じです。当時はトラックなんてとんでもない、という感じでしたね。段林:それが22、23歳くらいですかね?永田社長:そうですね。それが20、21歳ぐらいの時です。段林:その頃はまだお父様の八百屋さんはあったんですか?永田社長:ありました。そんな父も今から13年ぐらい前に亡くなってしまったんですけど。僕が一番上の兄と一回りくらい歳が違ったんですね。兄弟といっても力の差は歴然で。小さいころからボコボコにいじめられていました。泣かされたりプロレスの技をかけられたり(笑)。そこでタフな精神は作られたかなと思うのですが。段林:(笑)。当時、八百屋さんに戻るという選択肢はなかったんですか?永田社長:なかったですね。とにかくお金を稼ぎたいな、と漠然と思っていました。それで、その物流倉庫で正社員として「とりあえずお金だけ欲しい」という感じで働いていました。アルバイト感覚でしたが(笑)。そこで今の奥さんと知り合ったんです。段林:そこで奥様と!永田社長:はい。そして2個目の会社に移ってトラックに乗るようになりました。そして子供ができて、「稼がないといかんな」と思ってトラックドライバーになりました。その時、兄もトラックに乗っていて。中古車ではあったんですけど、車をコロコロと買い替えていて。「ひょっとして、トラックドライバーって儲かるんじゃねえかな?」と勝手に思いまして(笑)。段林:なるほど(笑)。永田社長:正直、まだ芸人の癖も抜けていないし、何の志もなく、「とにかくお金だけ稼げればいいわ」「嫌だったら辞めればいいわ」ぐらいの、本当に軽いアルバイト感覚で、僕の物流の人生がスタートしました。段林:走行業から奥様と出会い、「稼げるんじゃないか」という目論見でドライバーになられたわけですね。永田社長:そうですね。段林:ちなみに最後の質問ですが、その「稼げるんじゃないか」という目論見は当たったんですか?永田社長:最初の5年ぐらいは外れましたね(笑)。「ちくしょう!」と思いながら5年ぐらいはやっていました。その後は稼げるようになりました。段林:なるほど(笑)。八百屋の少年時代から、まさかの永田コメディアン、芸人時代を経て、そして「稼ぐため」に飛び込んだ運送業界。第一回はドライバーとして関わっているというころまでお話しいただきました。次回は、そこからどうやって社長になられたのか、そのあたりを深掘りしていきたいと思います。永田社長:はい、よろしくお願いします。段林:ありがとうございました。永田社長:ありがとうございました。▼前回のエピソードはコチラ👇https://www.rokko-jitsugyo.co.jp/news/_RgACMM_▼六興ラジオ【社会インフラの横丁から】シリーズはコチラ👇https://www.rokko-jitsugyo.co.jp/news/category/rokko-radio▼六興実業公式LINEはコチラ👇https://lin.ee/CBj09Eq