始まりました。社会インフラの横丁から。この番組は、社会の当たり前を支えてくれている人たちの声を、人情味あふれる六興村の隅っこにあるこの横丁からお届けするラジオです。本日も温かいお話や苦労したお話、心に染み渡るお話、そしてこれからの未来につながるお話をお届けしてまいります。 前回に引き続き、ゲストは埼玉県戸田市の株式会社エー・シー・トランスポート 篠田昌孝社長。創業当初、運送以外の仕事もこなしながら必死に会社を支えていた泥臭い下積み時代から、居酒屋での運命的な出会いを経て、創業わずか4年で30台規模へと急成長を遂げた軌跡に迫ります。急成長の光と、その先に訪れた「踊り場」のリアルな実態とは。%3Ciframe%20data-testid%3D%22embed-iframe%22%20style%3D%22border-radius%3A12px%22%20src%3D%22https%3A%2F%2Fopen.spotify.com%2Fembed%2Fepisode%2F71Q1syMYSeQK0Lf8mz605a%3Futm_source%3Dgenerator%22%20width%3D%22100%25%22%20height%3D%22352%22%20frameBorder%3D%220%22%20allowfullscreen%3D%22%22%20allow%3D%22autoplay%3B%20clipboard-write%3B%20encrypted-media%3B%20fullscreen%3B%20picture-in-picture%22%20loading%3D%22lazy%22%3E%3C%2Fiframe%3E荷台がゴミだらけの2トントラックから始まった「準備期間」段林: 今回も、株式会社エー・シー・トランスポートの篠田社長にお越しいただいております。よろしくお願いいたします。篠田社長: よろしくお願いいたします。段林: 前回、衝撃の事実が飛び出しまして、やはり僕の「面白フィルター」には間違いがなかったなというふうには思ったんですけれども。 この会社を立ち上げるに至った経緯について、前回「トラック1台からスタートした」と伺いました。最初に5台準備するなど、いろいろあると思うので、最初は「ドラゴンボール集め」のように仲間を探すところから始まって、「準備期間」とおっしゃっていましたね。運送会社として登記するまでは少しブランクがあったと思いますが、どのような状況だったのでしょうか。篠田社長: 前回もお話しした通り、一番最初は荷台にゴミがいっぱい詰まっている2トンロングワイドを仲間内から2万円で買ったところからスタートしました。段林: いつ廃車になってもおかしくないような、ボロボロのトラックですよね。篠田社長: そうです。エアコンも効かなくて、すごく大変な車でした。段林: 要は物置きとして使っていたんですよね。篠田社長: おそらくそうだと思います。そんな車を最初に買って、まずはそのゴミを捨てに行くのが一番最初の仕事でした。段林: 運賃は発生しないわけですよね。篠田社長: そうそう。そこが本当のスタートでした。そこから、仲間内が下払いで出るような車をさらに2台ほど集めました。そして残りの2台はハイエースなどの車両で営業ナンバーを取って、という感じです。段林: その間、一緒に働く仲間はまだ2人のままで。篠田社長: はい。前回お話ししたように、一番最初の車が大きな会社に吸収されて、そこには私たちの先輩社員たちもいたので、先輩社員も1人辞め、また2人辞め……最終的にみんな合流してきた、みたいな感じです。段林: なるほど。それが最初のスタートですね。【★コラム】運送業のスタートライン「営業ナンバー」とは?運送業をスタートする上で絶対に欠かせないのが「営業ナンバー(緑ナンバー)」の取得です。私たちが普段乗っている自家用車の「白ナンバー」とは異なり、他人の荷物を運んで運賃(報酬)を得る事業を行うには、国から一般貨物自動車運送事業の許可を得て、この営業ナンバーを取得しなければなりません。取得には、営業所や車庫の確保、原則5台以上の車両の用意、運行管理者の選任など、厳格な要件をクリアする必要があります。篠田社長が語った「準備期間」の背景には、単にトラックを買って仲間を集めるだけでなく、こうした高いハードルとなる国の認可基準をクリアするための泥臭い奔走があったのです。バール一本での家屋解体、下水道でのケーブル引き……泥臭い下積み時代段林: 冷静に考えると、運送業の立ち上げってめっちゃハードルが高くないですか。篠田社長: 若かったですし、働くことに対して今みたいに時間なども気にしていなかったので、体的には大変でしたけど苦にはなりませんでしたね。「辞めようかな」みたいなことも、あまりなかったです。段林: 最初、仕事の当てはどんな感じだったんですか。篠田社長: 最初の会社が小回りの利く会社だったので、吸収された会社でも元の仕事をやっていましたが、大手の会社では細かい仕事に対応ができないということがありました。そういった元の会社のお客様が、僕らが独立する時に最初の仕事をくださったりして。そういうのがスタートですね。段林: やりきれないけど、気合いでやりますという感じですね。篠田社長: そうです。あとは仕事がなければ、先代の社長である池永の友人の解体屋さんに「仕事に行ってこい」と言われて、バールを1本を渡されて家の解体したりとか。段林: もう全然関係ない仕事で稼いでいたんですね。篠田社長: そうです。あとは光ファイバーを地中に埋めるのに、下水道に潜ってうんこまみれになりながら光ファイバーを引っ張ったりとか。段林: マジですか。もう何も運送関係ない……。篠田社長: そうそうそう。段林: けど、お金を稼がないと給料が出せないですもんね。篠田社長: っていうようなことやっていましたね、最初は。段林: すごいですね。若いからというのもありますけど、お二人ともお金の不安は全くなかったんですか?篠田社長: その時僕らは仕事をするしかなかったのですが、池永さんはやっぱりお金の心配はあったと思いますよ。段林: そうですよね。その時にはもう何人か従業員さんもいらっしゃる。篠田社長: そうです。段林: じゃあお給料も払わないといけないから、稼いでこないといけない。篠田社長: そうですね。段林: いろんな支払いがあるっていう、会社の体にはなってきていますよね。篠田社長: そうそう。だから一番最初お金は借りられないし、借りられるようになってお金が回るまでは、すごく大変だったんじゃないのかなと思います。段林: そういうことはどれぐらいの期間やっていたんですか?篠田社長: それでも、2年弱はあったんじゃないかな。段林: すごい。篠田社長: そういう運送じゃない仕事をしていた時期は、それぐらいはあった気がしますね。本当に運送だけになってきたのは2、3年経ってからじゃないかなと思います。段林: 今は御社はウイングを主体でやって、色々やっていますけど、その時の運送はもう本当に何でもやります、みたいな感じだったんですか?篠田社長: そうそう。段林: とりあえずアルミ平車とアルミハイエースで、色々やるみたいな。段林: そうですそうです。何でもやります、という感じです。居酒屋での偶然の出会いから大手との取引へ段林: そこからカチッカチッと色々はまってきて、多少仕事の形などができてくるタイミングがあると思います。その辺りの最初のきっかけは何かあったんですか?篠田社長: これは運の問題もあるのかもしれません。僕が本当にたまたま地元の居酒屋で飲んでいたとき、まだ配車マンとかちょっとかじりだした頃で、飲んでいる時でもバンバン仕事の電話が来たりしていました。段林: 夜でも「明日行けない?」とか。篠田社長: そう。で、そんなことを居酒屋でやっていたら、たまたま隣で飲んでた人が大手運送会社の営業部長みたいな人でした。まだ僕も若くて24、5ぐらいでしょ?段林: はい。篠田社長: 「兄ちゃん運送屋なの」みたいに声をかけてもらって。そこから、その会社ではなく、「もうちょっと大手の会社を紹介するから行ってみな」と言われて。段林: ほお。篠田社長: そこから結構、大手と付き合えるようになったんですよね。段林: それまでは、とりあえず配車で電話受けながら、細かい仕事からいろんな仕事をやって……という感じですもんね。篠田社長: そうそう。段林: その時何台ぐらいだったんですか?篠田社長: それでも、6台ぐらいかな。段林: じゃあもう本当に何もない時に、自分も車に乗りながら電話しながらですよね。当時はもう携帯はありますもんね。篠田社長: さすがに携帯はありました。段林: 携帯片手に、やりながら……というところで。篠田社長: うん。段林: すごいですね。その方とは未だにちょっとしたお付き合いは……?篠田社長: もうその人は引退しちゃったんです。段林: あ、そうなんですね。篠田社長: もう引退されちゃって。「単価が合わない」大胆な交渉と急拡大段林: でも最初の恩人で、大手の仕事をもらえたんですよね。でも最初、大手の仕事をやるとなっても、たった6台ぽっちの創業数年の会社で、いきなりやらせてくださいと言うのは、ハードルはなかったんですか?篠田社長: それもまた若さのいいところで。その時1台あたり、1日4万も6万も稼ぐ時があったりとかしました。段林: え、何トン車ぐらいがベースだったんですか?篠田社長: 4トン車、2トン車。段林: ですよね。ちっちゃい車で。篠田社長: そうそう。寝ずに頑張って。段林: ぶっちゃけまあまあ無茶してましたよね。篠田社長: はい。でもそれで1日稼いでたので、やっぱり大手に行くとある程度金額が決まってきちゃうじゃないですか。段林: はいはい。篠田社長: そうすると、それまでのような一日の売り上げは上がらなくなってきちゃうので、本当に最初、紹介していただいて行ったんですけど本当に単価が安くて。段林: そうですよね。篠田社長: それじゃできませんって、普通に言っちゃいました。段林: すごいですね。まさかの、紹介してもらって行ったのに。篠田社長: そうそう。そしたら、その部署だけじゃなくて「もう1個の部署を紹介してあげるから、うちとのセットでやったら1日トータルでこれぐらいは上がるんじゃないの」と言ってくださって、いきなりお客が部署別で2つ増えたんです。段林: へえ。しかもなんから地場の、1回出て1回帰りと上手く組み合わせて。篠田社長: そうですそうです。それが本当に一番最初のスタートで、それから結構広がりましたね。段林: へえ。やっぱり1つ軸足ができると、人も増やしやすくなったりなどなったんですかね。篠田社長: そうですね。だから、10台行ったら30台行くのはもうあっという間だった気がしますね。段林: へえ。篠田社長: 10台ぐらいまではちょこちょこって増えて、10台超したら、融資も受けられるようになったり、リースを組めるようになったりしたので、そこから一気に、30台ぐらいまで行った気がしますよ。段林: そうなんですね。30台突破したのは、創業何年目ぐらいだったんですか?篠田社長: どれぐらいだろう。俺が26ぐらいの時にはもう3年ぐらいで20数台あった気がします。最後40台弱ぐらいまで配車をしていたから、28ぐらいまでしか配車専属でやっていなかったイメージなので、3、4年で30台突破していたかなと思います。段林: 結構、新進気鋭で良いですね。篠田社長: 勢いのある感じだったと思いますよ、その時は。段林: ドライバーさんとかは当時、どういう風に集められてたんですか?篠田社長: 今の会社にもいますけど、僕の幼稚園からの幼馴染がいたり、僕の弟がいたりとか。もう一人、創業期に亡くなっちゃったんですけど、その人も幼稚園からの幼馴染だったりとかしました。段林: あ、そうなんですね。篠田社長: うんうん。段林: じゃあもう本当に周りから引っ張ってきて。篠田社長: そうなんですよ。仕事も取れたし、人も連れてこれました。段林: ガキ大将的な(笑)。篠田社長: そうそう。そんな感じだったかもしれない。段林: すごいですね。それでも実際引っ張ってきても、その分食わせていかないといけない、というのがありますもんね。篠田社長: まあまあ、しっかりそこはね。段林: そんな感じで、もうあっという間に30台ですね。仲間を集め、20時間働き続けた怒涛の時代段林: その時ぐらいまでは、まだ普通に車にも乗っていらっしゃったんですか?篠田社長: 乗っていました。段林: じゃあ運転しながら、 配車しながら、採用しながら……って言う感じですね。篠田社長: そうです。それが普通だと思っていたので、普通にやっていました。段林: 1日何時間ぐらい働いていらっしゃったんですか?篠田社長: 働く時は、普通に20時間とか働いたりしていましたよ。段林: そうですよね。だって朝、5時とか4時には出る感覚ですよね。篠田社長: その時の仕事だと、家にお風呂に入りに帰って、またすぐ出るみたいな。段林: ぐらいですよね。一応役員ですからね、規定は無いので。篠田社長: そんな感じだった気がします。段林: ドライバーさんの面接とかもされていたと思いますが、それも合間合間で?篠田社長: 合間合間だったり、運転しながら受けながらですね。段林: よく聞く、運転しながら配車してってやつですね。篠田社長: でも30台近くになってきて専属になったかな。30台になるまでは、乗りながらやっていた気がします。段林: そこからは一応、専属で事務所にいて、という感じですね。篠田社長: うん。段林: その時、先代の池永会長との役割分担はどんな感じだったんですか?篠田社長: 役割分担は、池永会長が勢いに乗って車をバンバン買うから、それを俺が動かす。段林: なるほど。じゃあ、池永会長がとりあえずお金と、車を回してくるのはなんとかしますと。そこに人と仕事をなんとか持ってくるのが篠田社長の役目ですね。無茶振りに応えると。篠田社長: そんな感じだった気がします。段林: でもそのグイグイ伸びてた時期はめちゃめちゃ楽しいですよね、若いから。篠田社長: そうですね。30台の壁と「踊り場」の試練段林: そこから順調に伸びていく中で、1回踊り場みたいなのが来たんですか?篠田社長: ありました。やっぱり30台を越した頃ですよね。そこから売り上げにすると、4億ぐらいから8億ぐらいまで行くのは、上がったり下がったりという感じだった気がします。段林: 要は30台で管理者も増やさないといけないけど、中もしっかりしないといけないようになって、そこから人の採用や拠点もどうしようとか、いろんなこと考えていくと、少し止まり始めたみたいなことですよね。篠田社長: そうですね。6億から8億ぐらいが一番、多少増えても1000万ぐらい売り上げが上がったぐらいで……前期とあまり変わらないところもあった気がします。段林: 車50台、60台ぐらいでやってたのが、何年間ぐらい続いたんですか?篠田社長: 4、50台の間がやっぱ長かった気がしますね。3、4年あったんじゃないかな。そこら辺、足踏みした時期というか。段林: じゃあ順調に来てちょっと足踏みして、その当時篠田社長が30歳手前ぐらい。篠田社長: そうです。段林: で、ここからさらに飛躍をするという、僕も聞きたいメインディッシュみたいな話もあります。創業してから50台ぐらいまで来て、この踊り場をどう抜けていったのかというところは、次回のお楽しみということで。ありがとうございました。篠田社長: ありがとうございました。▼前回のエピソードはコチラ👇https://www.rokko-jitsugyo.co.jp/news/aOU1RTkD▼六興ラジオ【社会インフラの横丁から】シリーズはコチラ👇https://www.rokko-jitsugyo.co.jp/news/category/rokko-radio