始まりました。社会インフラの横丁から。この番組は、社会の当たり前を支えてくれている人たちの声を、人情味あふれる六興村の隅っこにあるこの横丁からお届けするラジオです。本日も温かいお話や苦労したお話、心に染み渡るお話、そしてこれからの未来につながるお話をお届けしてまいります。今回のゲストは、三重県亀山市より株式会社カワキタエクスプレス 代表取締役社長の川北辰実氏をお迎えしました。 業界では異例とも言える「平均年齢29.4歳」という若さを誇る運送会社を率いる川北社長。その創業のきっかけは、第一子が生まれた直後の突然の左遷と退職でした。軽トラック1台から始まり、現在に至るまでの波乱万丈かつ必然に満ちた創業ストーリーを、たっぷりと伺います。%3Ciframe%20data-testid%3D%22embed-iframe%22%20style%3D%22border-radius%3A12px%22%20src%3D%22https%3A%2F%2Fopen.spotify.com%2Fembed%2Fepisode%2F2yyxnZziqw9Hb3shoJYmw2%3Futm_source%3Dgenerator%22%20width%3D%22100%25%22%20height%3D%22352%22%20frameBorder%3D%220%22%20allowfullscreen%3D%22%22%20allow%3D%22autoplay%3B%20clipboard-write%3B%20encrypted-media%3B%20fullscreen%3B%20picture-in-picture%22%20loading%3D%22lazy%22%3E%3C%2Fiframe%3E%0A三重県への出張収録!若手が輝く運送会社段林: それでは、よろしくお願いします。川北社長: よろしくお願いします。段林: 本日はなんと、三重県まではるばる出張収録ということで、カワキタエクスプレスさんの本社にお邪魔させていただいております。つくばから始発でまいりました。よろしくお願いします。川北社長: 遠くからありがとうございます。よろしくお願いします。段林: まずは最初に、川北社長と会社の簡単なご紹介をいただけますでしょうか。川北社長: 三重県亀山市にある株式会社カワキタエクスプレスの代表をやっております、川北です。会社の特徴で言いますと、弊社はウイング車を保有しており、一般貨物の輸送が70%です。こちらは大体スポット・フリーで動いています。残りの30%は、海外引っ越しの梱包作業から港や空港まで持っていく仕事をしています。また、高校の新卒も採用しておりまして、うちの特徴は、社員の平均年齢が29.4歳という非常に若い会社であることです。これが一番の売りでもあります。段林: すごいですよね。僕も事務所に入らせていただいて、事務員さんもお若いですし、外の車庫で車を整備や清掃をされているドライバーさんも拝見したのですが、かなりお若い方が多かったですね。今の時代、ドライバーさんの世の中の平均年齢というと50歳前後ですよね。川北社長: そうですね。46、7歳ぐらいですかね。だいたいよその会社さんですと、10代・20代で社員の75%ぐらいなんです。段林: すごいですね。いかにしてそういった若い社員の方々が入ってくる会社になってきたのか、そこには色々なご苦労や山あり谷ありだったと思うのですが、今日はそんなあたりを深掘りさせていただければと思います。よろしくお願いします。川北社長: お願いします。創業のきっかけは、第一子誕生翌月の「左遷」段林: 川北社長はいろいろなメディアにも露出されていて、ご自身でもポッドキャストをやられていますし、TikTokやInstagramなどいろいろなところで「赤いトラック」のかっこいい姿を見たことがあるという方も多いと思います。外でお話しされている内容ももしかしたらあるかもしれませんが、ここだけの話も引き出せればなと思っています。まず設立についてですが、結構珍しく、最初は軽貨物の部分から独立されて……と拝見したのですが、どのような創業の背景でいらっしゃるんですか?川北社長:ホンダ関係の製造業の工場で働いていたのですが、結婚して長女が生まれて1カ月後ぐらいに、配置転換のような異動があったんです。それが、いわゆる「左遷」みたいな感じだったんですね。段林: ほう。川北社長: そんな評価しかされていないなら辞めてやるわ、という話になりまして。その夜に嫁さんに「会社辞めてもええ?」と聞いたら、「まあいいよ」みたいな返事でした。給料も、今でもそうですけど製造業ってそんなにめちゃくちゃ高いわけでもないので、当時は手取りで10万円あるかないかぐらいでした。段林: おいくつぐらいの時ですか?川北社長: 24歳ですね。段林: なるほど。川北社長: 今から36年前、1989年ぐらいですね。それなら、いろんなバイトをして全然稼げるやん、というのもあって。当時はガソリンスタンドへ行くとか土木作業員をやるとか、肉体労働的なものでもやれば月10万円ぐらいは稼げるというのもありました。そうしたいろんなバイトをやった中の一つが、宅配便の配達でした。段林: そうなんですね。川北社長: 当時、時給750円で働いて、3カ月ぐらいして「もうそろそろちょっとこれも辞めようかな」と思っていた時に、請け負いで、1個配達していくらというのを亀山地区で誰かやってくれないかという話があったんです。そもそも前に勤めていた会社も亀山でしたし、高校も亀山市だったので、地の利もあるし知り合いもいるので、「じゃあ僕やります」みたいなところからが起業ですね。それが1989年の5月です。繁忙期のチャンスと、何も言わずに信じてくれた妻段林: 今でこそAmazonの宅配や軽貨物の営業ナンバーを取って、というのはありますが、当時はまだそんなにメジャーではなかったですよね。川北社長: まだそんなにメジャーではなかったですが、お中元・お歳暮がやっぱり繁忙期で。それでもセシールさんとか通販が流行っている時でした。だからそういう通販のものも運ぶし、カタログも配るし、夏・冬になるとお中元・お歳暮で、普段の10倍ぐらいの荷物が来るわけですよ。段林: へえー!川北社長: そこが大変だけど書き入れ時で。一番最初、まだ倉庫もなかった時に、近所の農家の小屋を借りてそこで仕分けをしていました。その時に、前の会社で働いている子たちに声をかけて、仕事が終わってから配達するというのをやっていました。夜の9時半ぐらいまで配っていたのかな。段林: へえ。川北社長: そのうち、やっぱり寝たい人もいるしちょっと迷惑かなと思うようになりました。当時は帰ってきてビールを飲んで「今日はああだった、こうだった」と話すのがものすごく楽しくて、「仕事って楽しいな」と思ったのが最初ですね。段林: なるほど。川北社長: 配達して1個いくらで、その時で1カ月で100万円ぐらい売り上げを上げました。サラリーマンにしたらすごいですよね。段林: すごいですね。川北社長: 10万円ぐらいしかもらえてなかったのが、人に給料を払うにしても、1カ月で100万円売り上げ上げられたぞ、面白いな、と思ったのが最初ですね。段林: 当時は燃料代とかも安いですから、手残りもだいぶ大きいですよね。川北社長: そうですね。段林: 話が戻るんですが、最初にそれを始めたのが、お子さんが生まれた1カ月後ですよね。確かに10万ぐらい稼げるというのはあったとしても、奥さんは心配されなかったんですか?川北社長: うちの嫁さんに感謝するのはやっぱりそこで、そういう心配とか何もないし、今でもそうですが、自分でやり出したことに口出しすることもありません。お金に関しても「絶対これだけ要る」とそんなこともあんまり言わないし。甘えている部分もあるんですが、その辺は信用してくれていたのかどうか分からないけど、何にも言われなかったのがありがたかったですね。段林: かくいう僕も今0歳と2歳の娘がいまして。僕が六興実業を作った時、ちょうど子供が1歳になる月でした。作った直後にまた2人目を妊娠して生まれて……みたいな感じだったので、結構迷惑かけてるなと思いながら(笑)。川北社長: それこそ創業の時に、奥さんは何も言わなかったんですか?段林: 言わなかったですね。川北社長: 感謝ですね。段林: 信じてくれてたっていうのか、「まあいいんじゃない」みたいな感じでした。川北社長: 余談ですが、最近辞める子たちの中には、やっぱり奥さんが…と言う人がいます。「給料が安いからもっと高いとこ行け」みたいな。「手取り30万、35万ないと生活できない」みたいな。僕はそれが信じられないというか。旦那さんも仕事選んで、気分良く仕事しているわけですよ。その仕事をどうこう言うのは……僕らは恵まれた奥さんだったと思うんですけど、ちょっとかわいそうかなと思う時があったりすることもあります。段林: そうですね。何とも言い難いですが。川北社長: このラジオで言っていいのかどうか分からないけど、クレームが来たらごめんなさいね(笑)。段林: でもやっぱり家族に応援してもらうことも大事じゃないですか。僕も自分で会社を作ると言って、奥さんが応援してくれています。今日も始発で来ましたが、下の娘が熱出ててあんまり体調が良くないけど来ちゃって、というのも許してもらって、迷惑をかけてるけど、信じてもらっています。でも根本はやっぱ仕事を応援してくれてるというのがあると思っています。そこは、奥さんに応援してもらえる会社作りをするとか、ご家族に応援していただけるような会社作りをするというのは、裏を返せばすごい大事だなって思い、自分も経営者なりには考えたりしています。川北社長: やっぱり最後は家族ですからね。紆余曲折ありながら、万が一会社が潰れたとしても、家族には捨てられないというのを信じている部分もあって、だから頑張れますよね。その分はなんか、こちらも返してあげるというか、そういう気持ちになるし、それはやっぱり原点ですよ。個人事業主からの脱却と「金(ゴールド)」の失敗段林: そんな形で創業されて、最初は個人事業主の中で仲間を集めながらお仕事されて、という形だったんですね。川北社長: 仲間を集めるのは短期的です。コンスタントに仕事するようになって、初めて他人を雇うことになりました。当時は新聞に折り込み広告を入れるという募集をして、宅配は隙間時間にできるので、初めて他人を集めてやり始めました。段林: それが何年ぐらいなんですか?川北社長: それがもうその後すぐじゃないですかね。5月に創業して、12月の繁忙期が来る前には体制を整えないといけないということで、11月には倉庫を借りて、そういう募集をしました。段林: 結構なペースですが、11月に倉庫借りるとなったら敷金・礼金など結構お金は要ると思いますが。川北社長: 安かったんです。亀山市なんで、なんとかなったんです。段林: 最初も軽貨物からスタートしているから、請け負いで始める時も「軽自動車1台買って」という感じですね。川北社長: うちは百姓をしているので、軽トラがあったんですよ。それに幌つけてやればいいというところから始まったし、最初の倉庫も家賃が月5万円ぐらいだったと思います。だから敷金・礼金も3ヶ月分くらいの金額でした。その代わり本当に街ん中の狭い倉庫で、トラックが来ると近所迷惑みたいな、そんな場所ではありましたけどね。段林: なるほど。そんな形から、なんだかんだで今はもう大型まで持たれて……川北社長: 今年はトレーラーまで入れました。段林: そうですよね。自社の倉庫で事務所に併設されて……という感じですが、そこに至るまでは遠かったと思いますが、いわゆる一般貨物、この緑ナンバーに移行していくというのはどういうきっかけがあられたんですか?川北社長: 宅配をやっていて、お金が貯まると簡単に稼ぎたくなるじゃないですか。当時はもう株式投資はしていたので、そういうのでもっと稼げないかなというので、金の先物取引をやりました。湾岸戦争の頃かな。で、1年ぐらいやって、1個配達して200円ぐらいの売り上げしかなくて、貯まった150万円もなくなって。段林: ああ…。川北社長: 「何やっているんだろう」と思ってふらっと本屋さんに寄って。その時に船井総合研究所の創業者、船井幸雄さんの本がありました。その本を読んだら、仕事に対する考え方とか、「人とは」みたいな生き方についていっぱい書いてありました。それが、「あ、こういう会社作りとか、こういう人になりたいな」とすごくピンときました。段林: へえ。川北社長: そこにはいろんな本の紹介がされていて、紹介されている本を買ったりしていろいろ勉強しているうちに、今でこそSDGsとか言いますけど、「地球ヤバいぞ」というのを目にしました。ちょうどフロンガスがどうのこうのでオゾン層が破壊されたぐらいの頃でした。段林: はい。川北社長: で、その時に「あ、これは守らなあかん」と思い、「環境にいいこと商売にできないかな」と思い始めました。でも商売にはならず、結局飯を食えてたのは宅配の仕事でした。そんな感じで知り合った人から、2トントラックの仕事の話があって、それをやっていたら「海外引っ越しの梱包作業やらへん?」という話がありました。そこで海外引っ越しの梱包をやるにあたって、「2トン車を使います、そのうち仕事が増えてきて4トンが必要になりました」となり、「4トン白ナンバーじゃまずいな」というところで、当時5台あれば一般貨物運送事業始められたので、それを機に一般貨物運送をやり出したというのが、1998年の2月です。そこで株式会社カワキタエクスプレスを設立したという感じです。「必要・必然・ベスト」の哲学段林: 話を戻すと、さっきおっしゃった「環境にいい仕事をやってうまくいかなかった」というのは、ちなみにどんなことをやろうとされていたんですか?川北社長: まあまあの有名人を呼んでセミナーやったり……。段林: ええっ!?川北社長: 一人で、環境セミナーみたいなことをしていました。今も多分やっていますが『地球村』という団体があって、そこに高木さんという方がいらっしゃったんですが、この人が全国でそういう講演していて、パナソニックの社員さんの話を広めたり。段林: へえ。川北社長: あとは体に優しい石鹸や、アトピーでも使える石鹸や洗剤、化粧品などを扱ってみたり。その頃から水ブームだったので、いい水や浄水器を売るとか、そういうことをやってみたけど、全然商売にはならないという感じでした。段林: そういった船井幸雄さんの本は、どういうところにビビッときたんですか?川北社長: 今の原点にありますが、嫌なことをやってお金稼ぐのが仕事、みたいな感覚がそれまでやっぱりありました。親からも、サラリーマンの時も我慢して雇ってもらったらお金がもらえるよみたいな。でもそこにはやっぱり、世のため人のためになるようなことをするのが仕事で、人としての生き方もそういう生き方をするのが人として、ということで、いろんな人の話が書いてあったりしました。一番残っているのは、世の中で起こることは「必要・必然・ベスト」というのがあって、必要だから起こっているし、必然だから起こっているし、それもベストなタイミングで起こっていると。そのようなことが書かれていて、宗教っぽい話もいっぱいあったりしましたが、僕にはピンときました。段林: でも思い返してみるといろんな巡り合わせですよね。それこそ生まれて1カ月目のタイミングでそういう異動があって今があるのも、必要・必然・ベストだったかもしれない。川北社長: そうそう。そこでいい方の配置転換だったら、ひょっとするとそこにいたかもしれないですしね。【 ★コラム】 逆境を支えた言葉「必要・必然・ベスト」とは?番組内で川北社長が「人生の原点」として挙げた「必要・必然・ベスト」という言葉。これは、経営コンサルティング会社・船井総合研究所の創業者である故・船井幸雄氏が提唱した哲学です。 「世の中で起きることはすべて偶然ではなく、その人にとって必要だから起きている。避けることのできない必然であり、かつ最善(ベスト)のタイミングで起きている」という考え方を指します。 一見、理不尽な左遷や失敗と思える出来事も、長い人生の視座で見れば「成長のために用意された最良の機会」と捉えるこの思考法。若くして左遷を経験し、それをバネに起業した川北社長のしなやかな強さは、まさにこの哲学によって培われたものと言えるでしょう。段林: そういうお勉強や本を読んだりということをすごくされていたんですか?川北社長: その時からです。その時は1回本屋さんに行ったら5、6冊買ってきて、1週間ぐらいで読み切って、また本を買ってみたいな感じでした。たまたま手に取った本をきっかけに、2年ぐらいやっていました。いろんな本を読んだしいろんなセミナーに行ったし、その時はスポンジが水を吸うぐらい、むちゃくちゃ吸収しました。段林: でもそういうふうに動いてらっしゃったからこそ、「2トン車で海外引っ越し梱包やってみない」とか、そんなのも出会いだったり色々動く中で広がってきたお話だったりするんですか。川北社長: まあそうですね。その引っ越しも、海外引っ越しだからやったんです。というのは、今でもそうなんですが、海外と取引して貿易みたいなことをしたいんです。なぜかと言うと、仕事で海外出張に行けるし、異国の文化に触れたいというのがあります。それがあったから海外引っ越しをやり出したというのもありますが、それも人の縁ですね。セミナーで知り合った人が、たまたま工場のお偉いさんで、仕事をくれて。段林: はい。川北社長: でもその時に、僕がいい加減な人間だったら話は来ていなかったと思うんですが、ちゃんとしていたから来たんだろうし、そういう巡り合わせはその後も感じることはいっぱいあります。段林: なるほど。それで開業するに至ったのが、今から27年前の株式会社としてのスタートという感じですね。 今の平均年齢29歳という会社に至るまでにはまだまだ道のりがあったと思うので、ぜひ後半で聞かせていただければと思います。本日はありがとうございました。川北社長: ありがとうございます。いかがでしたでしょうか。 第一子の誕生、突然の左遷、そして「必要・必然・ベスト」という言葉との出会い。川北社長の人生の転機が、今のカワキタエクスプレスの礎になっていることがよく分かるエピソードでした。 次回は、いよいよ会社設立後の苦難と、平均年齢29.4歳という驚異の組織を作り上げた秘密に迫ります。お楽しみに!▼前回のエピソードはコチラ👇https://www.rokko-jitsugyo.co.jp/news/T2TeGrfy▼六興ラジオ【社会インフラの横丁から】シリーズはコチラ👇https://www.rokko-jitsugyo.co.jp/news/category/rokko-radio▼六興実業公式LINEはコチラ👇https://lin.ee/CBj09Eq