始まりました。社会インフラの横丁から。この番組は、社会の当たり前を支えてくれている人たちの声を、人情味あふれる六興村の隅っこにあるこの横丁からお届けするラジオです。本日も温かいお話や苦労したお話、心に染み渡るお話、そしてこれからの未来につながるお話をお届けしてまいります。今回のゲストは、前回に引き続き、三重県亀山市で運送業を営む株式会社カワキタエクスプレスの川北辰実社長です。 前回の放送では、軽貨物での創業から法人化までの道のりを伺いました。今回は、同社の事業の転換点となった「宅配事業からの全面撤退」と、その裏にあった苦悩、そして独自の採用・ブランディング戦略について、ホストの段林が深く迫ります。%3Ciframe%20data-testid%3D%22embed-iframe%22%20style%3D%22border-radius%3A12px%22%20src%3D%22https%3A%2F%2Fopen.spotify.com%2Fembed%2Fepisode%2F28Z8QuROGVRwnBLlnKUVy2%3Futm_source%3Dgenerator%22%20width%3D%22100%25%22%20height%3D%22352%22%20frameBorder%3D%220%22%20allowfullscreen%3D%22%22%20allow%3D%22autoplay%3B%20clipboard-write%3B%20encrypted-media%3B%20fullscreen%3B%20picture-in-picture%22%20loading%3D%22lazy%22%3E%3C%2Fiframe%3E%0A「海外引越」というニッチな市場段林: それでは今回も、よろしくお願いいたします。川北社長: よろしくお願いします。段林: 前回は、軽貨物からスタートして、株式会社として設立するまでの流れをお伺いしました。その中で「海外引越」というワードが出てきて、前回はあまり深掘りできずに終わったんですが……海外引越とは、どんなことをやるんですか?川北社長: うちのお客さんは、海外引越をやってるヤマタネさんとか、商船三井ロジスティクスさんとか、そういう法人の会社がお客さんなんです。 その先のお客さんは、トヨタ自動車さんとかダイキンさんとか、いろんなメーカーさんなんです。 そういう会社は、海外にいろんな拠点がありますよね。そこに3年から5年、日本から社員さんが引越しする時の引越しをやっているんです。段林: はい。川北社長: お客さんのところへ行って梱包して、港や空港まで持っていく。逆に、港や空港へ荷物を取りに行って、お客さんのところへ配達するというのが、海外引越なんです。段林: 国内の引越しに近いけど、海外に持っていく分、梱包をちゃんとやらないといけないということでしょうか。川北社長: そうですね。海外旅行に行かれたらわかると思いますけど、海外ではスーツケースでも壊れるぐらいの扱いをされます。段林: そうですね(笑)。川北社長: そうすると、それぐらいの扱いをされても壊れないような梱包も当然ながら必要になります。また国によって持って行けないものがあるんです。 持って行けないものが入っていると、通関で止まってしまって配達が遅れたり、没収されるのは当然です。 あと、会社での移動なので、会社が引越し代を出しますよね。段林: はい。川北社長: そうすると、なんでもかんでも全部持って行っていいわけではなく、「単身ならこれぐらい」「ご夫婦ならこれぐらい」「4人家族ならこれぐらい」と、各会社によって規定が違うんです。航空便と船便もあります。 そうすると、規定内に収めないといけません。梱包技術もですが、優先順位をつけてもらって、「じゃあこれからいきましょうか」とか、「隙間にでも壊れそうなものは入れて」とか、 お客さんによっては持って行きたいものがいっぱいで、どれを削ろうかと迷う人もいるので、そういうアドバイスもします。段林: へえ。川北社長: あとは保険の書類やリストなど、国内引越しではやらないようなことをやるので、女性でもできるような仕事です。段林: なるほど。ちゃんとコミュニケーション取ったりというとこですね。川北社長: どっちかというとそれが大事ですよね。段林: そういうのがすごく大事になってくるわけですね。きっかけは阪神大震災の年の「VIP案件」段林: なるほど。で、基本はツーマン(2人体制)で行くんですか?川北社長: ツーマン、スリーマンとかで行きます。家族だと4、5人で行って、単身なら2人です。2人で持つ必要がないものなら1人で行く場合もありますけど、基本少なくてもツーマンですね。段林: はいはい。川北社長: 多いときは2台で行って、トラックには1台で積むといったふうにやっています。段林: なるほど。川北社長: 僕はそもそも貿易がやりたくて。引越しは、宅配の時から国内引越しをしていたんですけど、とてもじゃないけど大変で、やる気はなかったんです。段林: うん(笑)。川北社長: 初めてやったのは、阪神大震災があった年の神戸でした。すごい高級マンションで、マンションの中にバスルームが3つぐらいあるような、そんなお宅のVIPの外国人の方の引越しでした。 4日間ぐらいかけて荷物を出すみたいな、 すごくゆったりしているんですよ。10時には休憩して、昼は当然休憩して、3時休憩して、もう4時過ぎぐらいに「はいさよなら」みたいな。 なんか、「あ、ええな、こんなゆったりして」と思いました。段林: はい。川北社長: 海外の何かも感じられるし。だからやり始めた、というところですね。段林: へえ。法人さんが相手になるので、仕事としては波も扱いやすかったり、いろいろ調整もできますよね。 あと御社には若いドライバーさんが多いというのも、そういうところで最初は採用されていたんですか?川北社長: そうなんです。若い人材を採用するためにやったわけじゃないんですが、海外引越があるから高校の新卒で免許がなくても、まずは作業員から助手をやってもらって。 トラックに乗れるようになったらトラックに乗ると。段林: はいはい。川北社長: そういうステップアップで大型まで行くみたいな流れも作れます。段林: そうですよね。なるほど。普通免許なくてもOKですもんね。川北社長: ただ会社に通うには、免許がないと通えない。段林: 確かに(笑)。そうですね。川北社長: だから最低限、普通免許は必要ですが。段林: そうか。なるほど。じゃあ今も、そこに繋がっているわけですね。川北社長: そうですね。宅配事業からの全面撤退段林: じゃあ最初はそんな形で、4トン車を入れてやられるという話でしたけど、その時はまだ一般貨物は隙間でスポットでやるぐらいだったんですか?川北社長: ほぼゼロに近かったです。宅配と、海外引越でずっとやっていました。段林: はいはいはい。川北社長: ある時期に、宅配も亀山だけじゃなくて鈴鹿もやり始めました。引越しも「横浜へ荷物を持っていく」とか、「横浜から帰りの荷物が欲しい」という場合もあったので、「ウェブキット」や「ローカルネット」などネットワークがあるんですけど、そういうものをやるために組合を立ち上げました。段林: へえ。川北社長: で、そこから、引越しも毎日あるわけでもないしせっかくトラックがあるので、トラックを埋めるために、宅配で路線会社ともお付き合いしていました。そこから出るスポットをもらい始めたのが、一般貨物の始まりですね。段林: なるほど。じゃあ最初はそんな形でしたが、今は7対3で逆転するぐらいになっていると思いますが、それはどれぐらいのタイミングからなんですか?川北社長: 鈴鹿に出して、多分1年半後か2年後ぐらいにはもう宅配は全部撤退したんですよ。段林: 国内の?川北社長: 国内の宅配便。段林: はい。川北社長: なぜかというと……今でこそ、宅配って「置き配」が流行っているじゃないですか。段林: そうですね。川北社長: ところが当時は、田舎なので、玄関開いてたり裏口開いてたりして、「で、そこ置いといてよ」と言われるぐらいの関係性があって荷物を置いて、ハンコもサインももらいませんよね。 それがだめだという話になって、必ず手渡ししないといけなくなりました。段林: はい。川北社長: コンピューター管理もして、単価は安くなっていって、だんだんクレームが増えていきました。 「もうこれはやっていられないな」と撤退しました。そこから、引越しは引越しでやりながら、一般貨物もなるべく増やしていこうということで、今度は本格的にトラックドライバーとして働く人を募集し始めました。段林: なるほど。仕事はない、でも「1600万の大型トラック」を買う川北社長: そうやって切り替わって半年後ぐらいに、元々知り合いだった以前別の会社で大型に乗っていた子に「じゃあうちで大型を買うから乗るか」みたいな話をしました。入社したものの、その子は実はもう配車マンとしてやっていて、結局トラックには乗れなかったんですけど。段林: あ、そうなんですね(笑)。川北社長: 仕事が増えて、大型トラックを1台入れたら、すぐに違う大型の仕事も必要になってきて、またトラックを買って……ということをしていたら、ちょっとずつ増え始めたという感じですね。段林: なるほど。ちなみに、人ベースで始めるというか……運送会社の社長と話していると、「この人入るから、大型買ってやってみよう」といった感じで、仕事もあるかどうかわからないけど、ということがあります。当時、大型ウイングを買おうと思ったら1000万はしましたよね?川北社長: 当時でも1600万ぐらいしたかな。段林: しますよね。結構な出費だと思うんですが、その辺はどう思われていましたか。川北社長: 今でもそうなんですけど、当時、仕事はありませんでした。でもうちの大型トラックがあったらかっこええよなと。段林: はい。川北社長: 当時は真っ赤ではないですけど、うちの大型トラックに目立つロゴで看板をつけて走っていたら、かっこいいなと。 で、大型に乗りたいと言っていた子には、「暇なら鈴鹿市内をぐるぐる回っとこ。目立つで。そのうち誰か声かけてくるやろ」と話をしていました(笑)。 彼も大型に乗りながら、自分で荷物を探したりしてた子なので、いわゆる運送会社の社長に声をかけて、孫請けか、ひ孫請けかわからないような受け方ではありましたが、荷物を集めてやりだしたのが最初ですね。段林: なるほど。いやーすごいな、やっぱ思い切りがいいですよね。採用のためにフェラーリ? 550万の「トライク」の結末段林: フェラーリ買うみたいなもんですね。川北社長: そのもっと後ですけど、採用にあたって、何かインパクトが必要だと思いました。段林: はい。川北社長: で、フェラーリ買って、誰でも乗れるようにしたら来るんじゃないかと思った時期があったんですが、フェラーリは2000万円ぐらいしてさすがに高い。で、「トライク」って知ってる?段林: わかります。3輪車ですよね。川北社長: はい。あれはヘルメットなしで普通免許で乗れるんです。 ハーレーを買ってトライクにして、うちの真っ赤な色にして、2年ぐらい所有しました。普通免許で乗れるから、車好きが多いし、トライク目当てで入社してくれるかなと思ったら誰も入社せず、当時の社員も誰も乗らず、2年間で僕が3回乗っただけでした。段林: えー!もったいない。川北社長: 550万円ぐらいかけたものが、2年後バイク王に売ったら110万円でした。段林: 真っ赤な架装もしすぎてるし(笑)。川北社長: 本当。そんなこともありましたけどね。【★コラム】普通免許で乗れる「トライク(3輪バイク)」「トライク」とは、3つの車輪を持つオートバイの総称です。川北社長が購入した550万円の車両のように、ハーレーダビッドソンなどの大型バイクをベースに改造されたモデルは、非常に高価で圧倒的な存在感を放ちます。 最大の特徴は、その法的な扱いです。見た目はバイクですが、道路交通法上では「自動車」に分類されるため、二輪免許がなくても「普通自動車免許」で運転が可能。さらにヘルメットの着用義務もありません(※安全のため着用は強く推奨されます)。「若者が免許の壁を感じずに乗れる、スーパーカー並みに目立つ乗り物」として白羽の矢が立ちました。「真っ赤なトラック」は採用ブランディングの先駆け段林: 御社のトラックも、真っ赤で、グリルも黒くしていらっしゃいますよね。ああいうのもずっとこだわられているんでしょうか。川北社長: 一番最初は7年前か8年前だと思います。 最初の設立時に、僕は「トラック野郎」より、当時はレーシングカーを運ぶ車や、コンサートの機材運ぶ車がありますよね。どちらかというとエアロで、全面塗装してあって。そういうかっこいい感じにしたかったんですが、真っ赤に塗るのも高かったし、キャビンだけ赤にして、その代わりロゴを入れたことから始まりました。段林: へえ。川北社長: 僕はトラックに乗っていなかったので、ステーをつけるとか、メッキにするとか、外装の作りはあまり知りませんでした。でもそういうのも、そこから大型トラックを入れる時に、トラックに乗っていた彼が「ここはこうしましょう、ああしましょう」とやってくれたのが、うちの会社のこだわりだした最初かとおもいます。段林: トラックの反響で採用もあるんですか?川北社長: あの真っ赤?ありますよ。段林: やっぱりあるんですね。川北社長: 真っ赤なトラックに乗りたいと言って来てくれます。段林: へえー。やっぱりSNSを見ていてもかなり目を引きますよね。川北社長: でも真っ赤にしだしたのは、設立20年ぐらいからなんですよね。借金3000万、精神的限界……最大の挫折と再起段林: なるほど。少し話が脱線しましたが、今は倉庫もあって、ある程度軌道に乗ってきていると思います。 ホームページにも「大きな挫折を」と書いてある中で、ぶっちゃけきつかった時期は、いつぐらいなんでしょうか?川北社長: ぶっちゃけ一番きつかったのは、さっき言っていた、宅配を辞める時の手前ぐらい。鈴鹿に営業所出して、という頃ですね。段林: 宅配を辞めると決断しても、売上を結構占めてた時ですね、。川北社長: そうですね。宅配と海外の半々ぐらいでした。段林: 半分は辞めるみたいなことですよね。川北社長: ましてやそれで創業したわけですから、創業のものを辞めるというのは非常に決断がいるんです。 辞める前に、協同組合を作ったと言ったじゃないですか。段林: はい。川北社長: 協同組合を作ってすぐぐらいに、いろいろあって、やる気をなくした時がありました。今でこそ「うつ病」という名前があるけど、当時そんな病名はないし、精神病というような呼び方しかなかったんですが、多分うつ病だったんだろうなということがありました。仕事のやる気も出なくて、たまに、死んでもええかなと思う時もあったりして、それが1年半ぐらい続きました。段林: そうなんですね。川北社長: もういよいよ会社をたたむかと、いうところまで行きました。当時、売上が年商で7000万ぐらい。でも赤字が1000万ぐらい、借金3000万ぐらい。段林: うん。川北社長: 辞めたら家を取られてしまう。これはちょっとやばいなと思って、もう一回奮起してやり始めました。その1年半ぐらいがむちゃくちゃきつかったし、前回言いましたが、勉強していろんな学びもあったけど、頭でっかちになっていて、実は体験として腑には落ちていませんでした。段林: はい。川北社長: それが腑に落ちた時期でもあったし、人間はめちゃくちゃ弱いなと思った時期でした。だからそれがあったから、今があるのかなと思います。自分の底を見たし、人生の中で一番どん底でした。それが挫折の時ですね。段林: 聞ける範囲でお伺いしたいんですけど、躓いたのは仕事に関わることだったんですか? 川北社長: いや、仕事には関係ないことでした。段林: なるほどなるほど(笑)。川北社長: ラジオではちょっと(笑)。弱さを知った人間は強い段林: ちなみに、僕もうつ病になったことがあります。川北社長: そうなんや。段林: 元々僕はこの会社をやる前にコンサルティング会社に新卒で入って、最後はそこで子会社の代表もやっていたんですが、実はあまりいい形で辞めていないんです。 辞めるきっかけになったところで、僕は完全にやられてしまいました。寝ていたら涙が出てくるみたいな感じになってしまって。 今でこそ結構明るくて強そうに見られますが、自分でもなるんだなと思いました。川北社長: 今は復帰したんですか?段林: 完全に復帰です。川北社長: でも、やっぱりそういう経験をしたらすごく強くなりますね。弱いのを知っているから、すごく強くなれるというか、自分で奮起もできるし。でも、いつそうなるか、誰がなるかも分かりませんからね。段林: ですね。人に優しくなれる。川北社長: そうそうそう。本当に。段林: 自分でもなるから、それぐらい当たり前というか、やっぱり「しんどいな」と思います。僕は結局その会社を辞めるという決断をしたから治ったというか、踏ん張ってたら多分治らなかったけど、辞めると決めて、すごく良くなったというのもあります。 そこからいろいろブランクがあって今に至るんですけど、そこで思い切って変化を起こすみたいなことも、きっかけにもなるのかなと個人的に思いますね。川北社長: うん。段林: ちなみにさっき聞き間違いかなと思って流したんですが、「協同組合を作った」とぽろっとおっしゃいましたよね。川北社長: はいはい。段林: そういうのって簡単に決めて作れるんだと思って。ウェブキットとかをやるために協同組合に「入った」という話かなと思っていたら、「作った」という話だったので、やっぱり聞き間違いじゃなかったんだなと気が付いたので、また次回その辺もお伺いさせていただきたいなと思います。川北社長: それが今に繋がっていることも結構あります。段林: では本日はここまでということで、本日もありがとうございました。川北社長: はい、ありがとうございました。▼前回のエピソードはコチラ👇▼六興ラジオ【社会インフラの横丁から】シリーズはコチラ👇https://www.rokko-jitsugyo.co.jp/news/category/rokko-radio▼六興実業公式LINEはコチラ👇https://lin.ee/CBj09Eq