今回のストーリーは…弊社代表 段林です!vol.1として、代表段林の幼少期から創業に至った経緯に迫ります。|「自分ならやれる」マインドの形成– 段林さん、よろしくお願いします!さっそくですが、段林さんは、どんな幼少期を過ごされましたか?はい、よろしくお願いします!出身は町工場で有名な大阪府東大阪市で、歯科技工士の両親の次男として生まれました。習い事は、ソフトボール、百人一首、ピアノ、絵、スイミングなど多岐にわたっていました。特にソフトボールは、父が監督をしていたこともあって力を入れており、大阪代表として全国大会に出場したこともあります。勉強については、教育熱心な両親のもとで「良い成績を取るのが当たり前」という環境で育ちました。日頃から先取り学習を進めていたことで、日々の授業やテストにおいても自然と「勝ち癖」のようなものが身につきました。「自分ならやれる」というマインドが形成され、その後の受験にも大いに活かされたと思います。– まさに文武両道ですね!東京大学に進学されてからも、部活動に打ち込まれていたと伺いました。はい、大学では体育会アイスホッケー部に入りました。アイスホッケー部って練習時間帯が深夜なんです。陸上トレーニングの日も合わせると、週4〜5日練習してました。春と秋・冬に大会があり、年に2回くらいは2週間の強化合宿を行ったりしていました。大学時代はほぼホッケーをして過ごした記憶ばかりです。– だいぶハードなスケジュールを過ごされていたのですね...!そんな中、就職活動はどのように行われましたか?就職活動を始めたばかりの頃は、大手広告代理店やテレビ局など、いわゆる超大手有名企業を中心に見ていました。もちろんそれぞれ魅力的な企業ではありましたが、企業訪問で出会うOBや面接官と数十年後の自分の姿をどうしても重ねて見ることができず、ずっと違和感を感じていました。そこで、途中から方針を変更し、スタートアップ企業に話を聞きに行ってみることにしました。多くのメガベンチャーに足を運びインターンにも参加していても、なかなかピンとくる会社には出会えませんでした。そんな折に、人材系メガベンチャーから「クライアント企業に新卒の学生を紹介する」という事業の一環として「紹介したい会社がある」と電話をもらいました。そこで紹介いただいた企業とはご縁がなかったものの、当時の社長から色々とお話を伺ったことがきっかけで入社を決意しました。|営業の基礎を教え込まれた、人材系メガベンチャーでの経験– 運命的な出会いがあったんですね。入社後はどのような業務を担当されましたか?まずは、テレアポでの新規顧客開拓からスタートしました。そこで教えられたのは「営業は一分の一だ」というマインドです。やみくもに100件電話をかけても、アポ取得まで繋がらないことがほとんどです。狙った会社を徹底的に調べて研究してから、アプローチからクロージング、契約獲得までのストーリーを自分で作り、それ通りに実行し必ず成功させることが重要であると教えられました。営業として自分自身で脚本を書き、それを実行することは、新規事業や事業計画を成功させるために必要不可欠な能力であることを知り、そこから猛勉強し翌月には初受注を決めました。– 「営業は一分の一」であり「自ら脚本を書き実行すること」。言葉では理解していても、行動に移すのは生半可な気持ちでは出来ないと思います。是非、その後のキャリアも教えてください。入社3年目からは主要事業の事業企画に携わり、4年目には社員研修や人事コンサル領域の新規事業で子会社の立ち上げを任されることになりました。事業企画、採用、サービス提供構築など全てを1人でゼロから創り上げる必要があり、貴重な経験を積むことが出来ました。子会社を立ち上げた翌年にコロナが大流行し、対面でのサービスを提供していた研修事業は一気に大打撃を受けました。しかしそこから迅速にオンライン化を進め、営業エリア・顧客層の拡大に繋げることができました。まさにピンチをチャンスに変えた経験ですが、この際に構築したフルリモート環境での組織運営やオペレーションは、今の六興実業にも活かされています。この会社には約6年間在籍しました。「会社からの期待に応えてさらに頑張りたい」という気持ちと、子会社の社長を経験したことで生まれた「独立という新たな挑戦を通じて自分の能力を試してみたい」という気持ちがせめぎ合い、最終的には退職を決断しました。この会社での経験やマインドは、今の六興実業にも深く刻まれています。|準備期間を経て、確立した2つの軸– 今の段林さんを形成する礎となった期間だったんですね。退職なさってからは、すぐ独立されたんでしょうか?すぐには独立せず、まずは色々な経験を積む期間を設けようと考えました。転職サイトにも登録もしましたが、一度経営者を経験すると、もう一度他企業にて社員として働くことはハードルが高いことが分かりました。そこで、フリーランスという形で様々な事業に関わりつつ起業の準備を進めようと思いました。スタートアップの営業組織立ち上げや障がい者グループホーム事業、アパレルDtoC事業などの新規事業立ち上げなどに参画しました。– 起業の準備を進める中で、ご自身の中で軸などはありましたか?会社を辞めて独立を決意した際に、心の中でいくつかの目標を設定しました。まず一つ目は、「コンサルの逆転」とも言える発想で、社会インフラを支える労働集約型「実業」領域に自ら飛び込むことです。コンサルタントとして働いていると、「そんなにアドバイスができるなら、自分でやってみればいいのに」と言われることがしばしばあり、その度に感じる悔しさやもどかしさが積もっていきました。そこで、新しく会社を立ち上げるなら、これまでに得た知識や優れた経営者たちから学んだことを活かし、これまで手掛けていたBtoBの事業ではなく、運送業、建設業、介護業などの「実業」の会社を築きたいと考えました。二つ目は、前職で6年間の経験を通じて学んだ「従業員の給与を上げることが幸せに繋がる」という信念を、自らの手で具体化するということです。経営者として従業員をどれだけ幸せにできるか、が私の核となる考え方です。そのため、同業他社よりも高い給与を提供し、従業員が幸せに働ける環境を作りたいと考えました。最終的には、この経営モデルを確立し、日本全体の底上げを目指すことを私のキャリアの最終ゴールとしています。– 段林さんが、「実業」のなかでも「運送業界」の世界に深くかかわり、六興実業株式会社を創業するに至った経緯を教えてください。私が運送会社の事業に本格的に関わるようになったのは、知人が買収した会社の経営を任せたいと言われ、茨城県坂東市にある社員20名ほどの地元の運送会社を引き継いだことがきっかけでした。実際に経営に携わってみてわかったのは、日本の物流業界は多くの中小企業によって支えられているという事実です。中小企業であるがゆえに、営業、採用、DXなどのホワイトカラー機能がほとんどないために、物価高や人手不足といった問題に十分に対応できず、結果として従業員にしわ寄せがいく現状がありました。さらに後継者不足で悩む会社も多く、同業他社が次々と廃業していくのを目の当たりにしました。このままでは物流が滞り、当たり前にモノが届かない時代が来るという危機感が募り、自分にできることは何かを真剣に考えるようになりました。さらに、フリーランス期間中に生まれた娘に誇れる仕事は何か、自身の30代を捧げるテーマは何かを考えた結果、日本全体のドライバーの労働環境を根本から改善することだという結論に至りました。こうした経緯を経て、2023年10月に六興実業を創業しました。 「六興」という名前には、「顧客(荷主)」、「協力会社(同業他社)」、「社会」、「社員とその家族」、「自社」、「金融機関や投資家」といったすべてのステークホルダーを大切にする『六方よし(=六興)』の経営を、「実業」領域で行うという決意が込められています。– vol.2では、六興実業株式会社の内情を赤裸々に語ります!ぜひ、楽しみにお待ちください!