始まりました。社会インフラの横丁から。この番組は、社会の当たり前を支えてくれている人たちの声を、人情味あふれる六興村の隅っこにあるこの横丁からお届けするラジオです。本日も温かいお話や苦労したお話、心に染み渡るお話、そしてこれからの未来につながるお話をお届けしてまいります。第11回目のゲストは、埼玉県春日部市で運送事業を展開する、ピーアール株式会社の野口知司社長です。ある日突然突きつけられた、勤め先の廃業。生まれたばかりの子供と家族を抱え、路頭に迷いかけた野口社長の背中を押したのは、義理の父からの「ある問いかけ」でした。資金調達の奔走、創業期の困窮、そして予期せぬ事業拡大……。 崖っぷちから始まった野口社長の、熱く、そして泥臭い創業ストーリーの全貌に迫ります。%3Ciframe%20data-testid%3D%22embed-iframe%22%20style%3D%22border-radius%3A12px%22%20src%3D%22https%3A%2F%2Fopen.spotify.com%2Fembed%2Fepisode%2F1w4bNs5kc7RAkwSCqhYwoE%3Futm_source%3Dgenerator%22%20width%3D%22100%25%22%20height%3D%22352%22%20frameBorder%3D%220%22%20allowfullscreen%3D%22%22%20allow%3D%22autoplay%3B%20clipboard-write%3B%20encrypted-media%3B%20fullscreen%3B%20picture-in-picture%22%20loading%3D%22lazy%22%3E%3C%2Fiframe%3E%0A災害支援の現場で見えた、経営者の心意気段林: 本日のゲストは、ピーアール株式会社の野口社長にお越しいただいております。野口社長、まずは簡単に自己紹介をお願いできますでしょうか。野口社長: はい、初めまして。埼玉県は春日部市で運送事業を行っております、ピーアール株式会社、代表取締役の野口と申します。よろしくお願いいたします。段林: よろしくお願いいたします。 野口社長との関係性で言いますと、実は僕も、つい先日お会いさせていただいたばかりなんですよね。野口社長: はい。段林: 当社の営業メンバーから「すごく良い社長がいて、良い会社があるから、ぜひ段林さん会ってほしい」と言われて連れられて行ったんです。 野口社長といろいろお話ししていると、運送会社の中でも取り組みが優れていらっしゃるなと思ったことはもちろんなんですが、最初にお部屋を通していただいて壁を見たときに、昨年の能登の災害の新聞記事が貼ってあったのが印象的でした。 去年の能登半島地震の災害の時に、現地へトラックを派遣して荷物を持って行ったという内容で表彰を受けて、それを記事にしていただいているものでしたね。すごく素敵な取り組みをされているなと思って、そんな話もいろいろ深掘りさせていただく中で、この社会インフラの横丁からも、まさにそういった運送会社さんや、社会への貢献、ドライバーさんへの還元といったところに力を入れてらっしゃる経営者さんにフォーカスしてお話を伺いたいなということで、今回お声がけさせていただきました。お会いしてばかりで恐縮なんですが、ぜひ出てくださいということで。先週オファーさせていただいて、今週収録という(笑)。そんな時系列でやらせていただいております。僕も初めて伺うお話がかなりたくさんあるかなと思っておりますので、すごく楽しみにして参りました。よろしくお願いいたします。野口社長: はい、よろしくお願いいたします。突然の廃業宣告と、義父からの「究極の二択」段林: では早速なんですが、一番最初に気になるのは、どういう思いを持って、どんな経緯からこの会社を創業されたのかという点です。ピーアールさんのホームページを調べさせていただくと、ものすごくかっこいい動画から始まるので、おそらくすごく思いを持ってやってらっしゃるんだろうなというのが透けて見えます。そのあたりを少し伺いたいと思いました。どんなきっかけでご創業に至ったんですか?野口社長: そうですね。僕は21歳から街の運送屋に勤めて、29歳まで8年間やらせていただいていました。その8年目の時に、急にそこの代表の方から「申し訳ない、会社をたたまざるを得なくなった」と言われまして。理由はそこまで深くは聞けなかったんですが、後から耳に入ってきた話では、納税などが行き詰まっていたということでした。 それで廃業するということになり、本当に急に言われたので「どうしようかな」と。段林: それは困りますよね。野口社長: その時、長男も次男も生まれたばかりだったんです。妻と話をして「でも俺、この業界やってるからこれしかないしな、転職考えなきゃいけないからな」みたいな話をしていたら、妻の父親、私にとっての義理の父親ですね、彼がケータリング事業やお寿司屋さんを何店舗もやっていまして。 その義父から「お前は何をやりたいんだ?」と聞かれたんです。「この運送業界はずっと長くやっているので、運送業界を引き続きやりたいと考えています」と答えたら、「人の下についてやるのか、それとも自分で作り上げたいのか」と問われました。段林: おお。野口社長: 「可能であれば自分でやってみたいです」と答えました。そうしたら「であれば、じゃあ自分でやればいいじゃないか」と。「なんで考えないんだ?」と言われたので、「いやいや、やったこともないし、会社の作り方もわからないし、何一つわからないので」と返したら、「じゃあ仕組みだけ教えてやる」と言われたんです。段林: はい。野口社長: 「まず銀行を回れ」と。「お前のフルネームで、街の銀行を回りなさい」と言われて、4行回ったんですよ、私の個人の名前で。300万円の借り入れを申し込んだんですが、ことごとく駄目でした。貸してくれなくて。すぐにそれを伝えたら、「まあそうだろうな」と。それで、「越谷の方に国の銀行、『日本政策金融公庫』というのがあるから、そこへ行きなさい」と言われました。「何ですかそれ?」と、私はそれさえ知りませんでした。 「わかりました、じゃあ行ってみます」と言ったら、「その代わり、私の娘と二人で行きなさい。まずアポイントを取りなさい」と指示を受けました。銀行の窓口で起きた「2分間」のドラマ野口社長: 言われた通り電話をして、「13時にアポイントが取れました。13時に行ってきます」と義父に報告しました。「何かあったらすぐ、その場で電話しなさい」と言われて、私は妻と13時のアポイントで政策金融公庫に行かせていただいて話をしました。 そうしたら、担当の方に2、30分で「保証人をつければ、なんとか貸し付けできます」と言われまして。段林: おお。野口社長: 「わかりました、ありがとうございます」と言って、公庫の外に出て義父である会長に電話を入れたんです。「あ、そうか。私も越谷の駅前にいるから、2、3分で着くから待ってろ」って言うんですよ。それで本当に2分ぐらいで来たんです。つまり、アポイントの時間を聞いて、会長は待機していたんですよ。保証人がいれば通るということがわかっていたから、その場で書いてあげるということで待っていたんです。でも、それを事前には私に言わなかったんですよ。 で、すぐに来てくれて、僕もびっくりして。「じゃあもう一回、窓口担当の人と話そう」となって、その場で保証人になってもらって、300万円の借り入れができることになったんです。段林: はい。野口社長: それで「じゃあ次どうしたらいいんですか?」と聞いたら、「行政書士を紹介するから会社を作れ。あとは運輸局の許可などの取り方は私は知らないから、自分でインターネットで調べなさい」「わからない部分は私に全部聞きなさい」と言われました。「駐車場がないと駄目みたいです」「トラック5台ないと駄目みたいです」と、そこからのスタートで、そこからの学びでしたね。段林: へえー!野口社長: そうしたら全部「こうやったらいいんじゃないか」「じゃあこの人を紹介してやる」と教えてはくれるんです。ただ、義父が決してやらなかったことは、「お金を貸す」とか、そういうことは全くなくて。まず自分で足を運んで回れ、ということで始まったんです。 その300万円を元手に中古車を5台買って、求人の書き方もわからないので、自分の地元の後輩を4、5人声かけして人数を集めて始めたというのが、経営者になったきっかけですね。段林: ちなみに、それが今から何年前の話ですか?野口社長: 15年前ですね。私が29歳の時です。段林: その時、前の会社さんではドライバーさんだったわけじゃないですか。野口社長: ドライバーでした。段林: ということは、いわゆる一ドライバーで、車両に乗って配送してというのがお仕事だったと。野口社長: そうです。段林: ちょっと中にいれば、配車や管理職などいろいろ経験もあると思うんですけど、それはなかったということですか?野口社長: 全く違いますね。現場でした。義理の父の背中の後押しがなければ、今の私はなかったのかなというのは、正直なところありますね。段林: この義理のお父様が何者なのかという追求をしたくなりますが、話が脱線しそうなので一旦置いておきます(笑)。【★コラム】 起業家の最後の砦「日本政策金融公庫」 野口社長が義父に勧められて駆け込んだ「日本政策金融公庫(略称:公庫)」は、政府が100%出資する金融機関です。 実績のない創業期は、民間の銀行(都市銀行や地方銀行)からの融資を受けるハードルが非常に高いのが現実です。対して公庫は「国民生活の向上」を目的としており、創業間もない企業や個人事業主への融資(創業融資)を積極的に行っています。 現在は「原則、無担保・無保証人」の制度も充実していますが、野口社長が創業した約15年前や、審査を迅速に進めるケースでは、第三者の連帯保証人を立てることで信用を補完することがありました。300万では足りない現実と、給料ゼロの8ヶ月間段林: 創業をされて、中古車をかき集めて、駐車場や休憩所も用意しないといけませんよね。300万円で足りたんでしょうか?野口社長: いや、正直なところ足りませんでした。当時の私の動きとしては、もう街のアコムさんとか、ああいうところからも借り入れしました。段林: いやぁ、すごいな……。野口社長: 出だしはそうですね。だから「いくらかかるか」とか「事業計画」とか、私が事業をするに伴って計画を立てて、これに沿って形にしていこう、じゃなかったんです。もう探り探りでやったから、金集めもそういうところからの借り入れをしていた、というのもあります。 最初の半年、8ヶ月間ぐらい、私は給料取れてなかったんですよ。段林: はい、はい。野口社長: その間の8ヶ月間は、妻はどうやって家庭をやりくりしたのか、いまだに聞けてないません。多分、自分の母親に頭を下げて、生活費を借りてたのかなと思います。そういうところも聞けない、情けない自分もいましたね。段林: でも、そこで消費者金融も含めてお金を集めてきて、なんとかしていくって、始めたもののまだ引き返せる部分もいっぱいあるじゃないですか。そういう状況で自分もなかなかお給料取れない中で、どんな確信や信念があって突き進めたんですか?野口社長: やっぱりその「一歩」が大きかったですね、僕の中では。自分で経営者になりたいと思って始めたわけではなかったけれど、その一歩が自分の中ではすごくプレッシャーになって。「何が何でも形にしなきゃな」という思いが強くて、今に至っているんじゃないかなと思いますけどね。段林: なるほど。義理のお父さんの背中の後押しがあってこそですね。でも社長とお会いして感じるんですが、経営者としての「覇王色」みたいなものがあるんです。 おそらく昔からそういう、人を率いるリーダーというか、頭領の根っこのような部分があって、いつかそういう可能性があるんだなというのは、どこかにあったんでしょうか?野口社長: いや、自分でそれを意識していたかと言ったら、全くないとも言えないですけど……。でも今、蓋を開けてみると、その創業当時の後輩5人は一人も残っていません。段林: ああ、そうなんですね。野口社長: 今思うと自分が至らなかったなというのは正直あります。でも、それなりに必死でしたね。週末だとか祝日に急に仕事が入っても、もう休みだったから皆にお願いして、「仕事が入ったんだから、俺も出るんだからお前らもやれよ」みたいな、すごく勝手な自分がいましたね。段林: まあでも、最初はがむしゃらにやるしかないですからね。野口社長: 必死でしたね。創業2年目のM&A(?)と急拡大段林: そこから、創業して実際に2年経って軌道に乗り始めるまでって、どれぐらいかかったんですか?野口社長: 2年ぐらいはその状態でしたね。営業の仕方もわからなければ、名刺の作り方もわからなかったんです。2年間はとにかく人脈、前のいた会社で知り合った会社さんに連絡を入れて「何か仕事ください」というところからのスタートでやっていました。段林: 運送会社さんの創業って結構当てがある状態でされる方も多いと思います。元々配車をやっていらっしゃって、というパターンや、「佐川急便ご出身で、そのまま仕事を持ってきて」みたいなパターンもよく伺うことはありますが、本当にゼロから仕事を作るって、大変ですよね。野口社長: そうですね。大変でした、その時は。段林: 今から15年前ということは、ちょうどリーマンショックの直後ですよね。景気があまり良くない時代ということになりますよね。野口社長: そうですね。平日に駐車場を見ると、5台保有しているトラックのうちの3台が止まっているんです。2台しか稼働していないという時期もあったので、なんとかしなきゃなと必死でしたね。段林: なるほど。その時点では最初の5名はまだ辞めずにいらっしゃって、そこから車って大体どれぐらいのペースで増えていったんですか?野口社長: 2年経ったぐらいの時に、ある荷主さんがいて、そこに私たちも積み込みにトラックで行きました。そこで同業者の別会社さんも何台か入っていたんですが、その別会社さんが「会社をたたむ」と仰いました。段林: ほうほう。野口社長: 「可能であれば、従業員と車両を引き継いでほしい」と言われたんです。 当時の税理士さん、うちの商工会議所から紹介されてお願いしていた税理士さんにそれを説明して「やりたいと思うんだけど、どう思う?」と聞いたら、「いや、やめたほうがいい」「その仕事をしていてその会社は閉じるんだから、継続して野口さんが引き継いでも同じ結果です」と言われました。段林: はい。野口社長: 「でもなぁ……」と。お願いされたし、その従業員さんも他社ですけど毎日同じところに積み込みに行ってるんで、仲がいいじゃないですか。「だからなんとかやっぱり俺的にはやりたいんだ」と言って。このまま話を進めます、ということで、うちの方に入っていただいたんです。 その時、8名ぐらい入ってくれて、トラックも8台「リースの引き継ぎ」という形でうちに入っていただいて、急に倍ぐらい……13台ぐらいになったのかな。段林: すごいですね。創業初期にまさかのM&Aというか。野口社長: そうですね。段林: そんな流れだったんですね。段林: なるほど……。いや、ちょっとあまりに濃い話で、僕も衝撃のエピソードが幾つか出てきましたが。 最初のM&Aの部分からじゃあどうなっていったか、そこからの引き継ぎの部分からどんなふうになっていったかというのも、さらに詳しく伺いたいなと思います。今回はここまでとさせていただいて、次回その続きをお伺いできればと思います。本日はありがとうございました。野口社長: ありがとうございました。創業のきっかけは、突然の廃業と義父からの厳しい愛。 「金を貸すのではなく、仕組みを教える」。安易な援助ではなく、自ら動くことを徹底させた義父の教えが、野口社長の経営者としての足腰を鍛え上げたのかもしれません。そして創業間もない時期に訪れた、まさかの事業承継のチャンス。次回は、その後の会社の成長と、野口社長が大切にしている思いについて、さらに深く掘り下げていきます。次回もどうぞお楽しみに。▼前回のエピソードはコチラ👇https://www.rokko-jitsugyo.co.jp/news/pq9Aq_jG▼六興ラジオ【社会インフラの横丁から】シリーズはコチラ👇https://www.rokko-jitsugyo.co.jp/news/category/rokko-radio